大判例

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大阪地方裁判所 昭和57年(ワ)8400号 判決

原告

西本兼夫

右訴訟代理人

花村哲男

被告

日本生命保険相互会社

右代表者

弘世現

川瀬源太郎

右訴訟代理人

三宅一夫

坂本秀夫

山下孝之

杉山義丈

長谷川宅司

吉川哲朗

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判〈省略〉

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告は生命保険を業とする相互会社である。

2  原告は、被告との間で受取人を原告とする次の保険契約(以下「本件保険契約」という。)を結んでいた。

(一) 保険証券記号番号 五五〇第五三七〇七一号

(二) 契約日 昭和五三年九月二一日

(三) 保険種類 三〇年払込、三〇年満期「ニッセイ暮しの保険(全期保障型)」

(四) 被保険者 西本憲司

(五) 主契約保険金額(養老保険金額) 二〇〇万円

(六) 定期保険特約保険金額 一八〇〇万円

(七) 災害割増特約保険金額 五〇〇万円

(八) 傷害特約保険金額 五〇〇万円

(九) 本保険契約では、被保険者の普通の死亡時に支払われる保険金額は、右(五)(六)の合計二〇〇〇万円であり、不慮の事故による死亡時に支払われる保険金額は、右(五)ないし(八)の合計三〇〇〇万円である。

なお、原告は昭和五五年一一月一三日被告の同意を得て保険契約者を原告から西本憲司に変更した。

3  憲司は、昭和五七年二月四日午後一一時四〇分ころ北海道川上郡標茶町字虹別原野六九線一〇九番地先道路で普通乗用自動車を運転中、道路左則ママの案内標識支柱に衝突して負傷し、よつて同月一三日午前九時二一分ころ死亡した。

4  憲司は、3のとおり不慮の事故により死亡したものであるから、被告は2(九)のとおり三〇〇〇万円の支払をすべきものであるところ、普通死亡によるものとして二〇〇〇万円しか支払つていない。

よつて、原告は被告に対し本件保険契約に基づき災害割増特約保険金と傷害特約保険金との合計一〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五七年一一月一二日から支払ずみまで商事法定利率である年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。〈以下、省略〉

理由

一請求原因事実並びに本件保険契約に付加された災害割増特約及び傷害特約には「被保険者の飲酒運転中の事故」により被保険者が死亡したときは災害割増特約保険金及び傷害特約保険金を支払わない旨の定めのあることはいずれも当事者間に争いがない。

二右免責事由にいう「飲酒運転」の解釈につき、被告は、単なる酒気帯び運転で足り、かつ事故との因果関係は必要でないと主張し、原告は、酒酔運転程度以上のものを指し、また事油との因果関係を必要とすると反論するので、まずこの点について判断する。

飲酒運転は、その文理上の解釈からすればおよそ酒気を帯びた状態での運転すべてを包含するように読めないでもないが、保険支払の免責事由としての「飲酒運転」である以上無限定的に酒気帯び運転全般を含むと解するのは相当でなく、他の免責事由との権衡をも顧慮した上で、かつ「疑わしきは保険者の不利益に」という解釈原理に立つて目的的かつ合理的に解釈されなければならない。〈証拠〉によると、本件の免責事由として、災害割増特約(52)では第一条中に「被保険者の無免許運転中または飲酒運転中の事故」と、傷害特約(52)第一条では「その被保険者の無免許運転中または飲酒運転中の事故」といずれも無免許運転と同じ条項に並記されていることが認められ、このことから右約款にいう飲酒運転の程度は無免許運転と同程度又はそれ以上のものであることを要すると解されるところ、各違反行為に対する道路交通法の罰則に照らすと、単なる酒気帯び運転では足りずアルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態での運転を指し、本件免責事由である「飲酒運転」は危険の発生又は危険の増加の蓋然性が極めて大きいため自動車の使用又は運転それ自体が強く禁止されている酒酔運転をいうものと解するのが相当である。

右のように解したときは、「飲酒運転」そのものが事故の発生の蓋然性の高い状態を指しているのであるから、飲酒運転と事故との間に因果関係のあることは必要でないと解せられる。このことは、前記各特約の約款中の別の免責事由である「被保険者の泥酔の状態を原因とする事故」と本件免責事由「被保険者の飲酒運転中の事故」との規定の文言上の対比からも明らかである。

三そこで、本件事故が右免責事由にあたるかどうかを検討する。

前記一の争いのない事実と〈証拠〉を総合すれば次の事実が認められる。

1  本件事故現場は、弟子屈町から中標津方面に西から東へ通じる国道二四三号線の直線道路上である。同所より約六〇メートル東方に三差路があり後記憲司の自宅からは約一キロメートル手前の場所であり、制限時速五〇キロメートルの交通規制がある。周囲の見通しはよく、車両の通行の少ない歩車道の区別のある幅約11.3メートル(うち南側の歩道部分の幅員は1.5メートル、片側車線の幅員は約4.3ないし4.6メートル)で、アスファルト舗装のされた平坦な道路であるが、当時事故現場付近は路面が凍結し、表面が堅く固まつたアイスバーン状態となつていた。

2  本件事故は、昭和五七年二月四日午後一一時四〇分ころ発生したもので、憲司は中村政子を同乗させて本件事故車(北五五に五六・〇九号)を運転し弟子屈町方面から中標津方向へ東進していたが、センターラインをオーバーして対向車線に進入し、本来の東行車線に戻ろうと急ブレーキをかけ、かつ、ハンドルを左に切つたところ約26.4メートルスリップし、道路北側の鉄製道路標識柱に事故車の右側運転席ドア部を衝突させ、憲司は、脳挫傷、外傷性気胸、骨盤骨折、顔面裂創、左鎖骨々折の傷害を負い、同月一三日脳挫傷に基づくクッシング潰瘍による消化管出血により死亡した。事故時の事故車のスピードは、事故現場の状況、事故車の損傷状況等から時速約八〇キロメートルであつたものとみられる。なお、冬期に北海道の道路を自動車で走行する場合路面の状況いかんにもよるが急ブレーキをかけることが危険であることは一般に認識されている。

3  憲司は、事故当日女友達の中村政子とともに北海道川上郡標茶町字虹別原野六七線一〇三所在の釧路地区農業共済組合標茶支所虹別分院の敷地内にある職員住宅から飲酒するため自己所有の自動車を使用しないで中村が運転する同人所有の本件事故車に同乗して自宅から約二一キロメートル離れた弟子屈町に出かけ、午後九時ころから午後一一時ころまで同町のスナック「ソロ」で飲酒した。憲司は、同スナックの店主若月に対して、「今日は彼女が車を運転するから大丈夫」等と話してウイスキーの水割を濃度は明らかでないがコップで相当量(後記参照)飲んだ。憲司に同行した中村も日本酒を約三合(銚子三本分)飲酒したが、身体の具合が悪くなり、やむなく憲司が帰路本件事故車を運転することになつた。

4  弟子屈署巡査部長近藤日出男は、本件事故後の二月五日午前零時二〇分から午前一時ころまで本件事故現場の実況見分をした後、憲司が最初に運ばれた標茶町立病院に立ち寄つたところ、憲司は手で顔を被つて痛みのため暴れており口は聞けず、酒臭く顔も紅潮し呼吸もやや荒い状態であつた。そこで近藤は同日午前二時ころ憲司の呼気中のアルコール含有量の測定をすることにしたが、憲司の状態からして便宜呼気採取用のポリエチレン製袋(縦約二〇センチメートル、横約12.3センチメートル)の片端を切り取り、憲司の口から直接ではなく呼気により袋が自然にふくらむことのできる位置で呼気を採取した。そして、右採取した袋にパイプを差し込み検知器につなげて通常の呼気中のアルコール含有量を測定する方法により測定した結果は、呼気一リットル中0.3ミリグラムの値を示した。なお近藤は、憲司の状態に鑑み、呼気採取に際し口中のアルコールを除去するためのうがいをさせていないし、血中アルコール濃度を測定するための血液採取もしていない。近藤は、右測定結果及び自らの捜査した資料により、憲司に対する安全運転義務違反(制限速度オーバー等)に基づく業務上過失傷害罪及び道路交通法違反(同法六五条、一一九条一項七号の二、酒気帯び運転)の被疑事件により検察庁に送致した。

5  憲司の年令(二五才)及び体重約五五キログラムに近い被験者二人(いずれも二四才で健康な男子大学生で体重はそれぞれ六五及び六〇キログラム)に空腹時に日本酒を四〇分間で体重一キログラム当りアルコール1.6グラムとなるようそれぞれ八一二ミリリットル、七五〇ミリリットル飲酒させ坐位で安静にした後、呼気アルコール濃度を、①本件で呼気を採取、測定したのと同様の方法(但し、被験者の口から一〇センチメートル上で呼気を採取)、②うがいをさせないでする正規の測定方法、③うがいをさせた上でする正規の測定方法に分け、かつ、飲酒開始四五分後から三時間三〇分後まで時間を変えて測定した結果は、①の方法ではほとんど呼気一リットルにつき0.1ミリグラム以下であり、やや強い呼気の時でも0.14及び0.15ミリグラムであつたが、②の方法では呼気一リットルにつき0.40ないし0.70ミリグラム、③の方法では呼気一リットルにつき0.30ないし0.52ミリグラムであつた。同様に、血中アルコール濃度を飲酒開始一時間後から四時間後まで測定した結果は、血液一ミリリットルにつき1.65ミリグラムないし2.06ミリグラムであつた。本件事故後憲司の呼気が採取、測定された飲酒終了時から三時間後という時間に最も近い飲酒開始後から三時間三〇分後の呼気アルコール濃度は、呼気一リットルにつき0.15ミリグラム(①の方法)、0.48ミリグラム(②の方法)、0.43ミリグラム(③の方法)であり、同じく飲酒開始後から三時間後及び四時間後の同一被験者の血中アルコール濃度は、血液一ミリリットル中、1.84ミリグラム(三時間後)、1.74ミリグラム(四時間後)であつた。以上の検査結果並びに飲酒量と血中アルコール濃度及び呼気アルコール濃度との間の理論的な関係についての一般的知見に基づき、鑑定人溝井泰彦は、①の方法により測定した呼気アルコール濃度が呼気一リットルにつき0.3ミリグラムであつた場合、その時点でうがいをさせ正規に測定したとすれば、呼気一リットルにつき0.3ミリグラム以下ではあり得ず、少なくとも0.5ミリグラム以上であり、その時点での血中アルコール濃度は少なくとも血液一ミリリットルにつき1.6ミリグラム以上であつた筈であると推測している。

6  血中アルコール濃度とアルコールの影響による酪酊度との関係は、個人差、飲酒時の心身の状態により差があるが、一応の相関関係は認められ、アルコールの血中濃度が0.05パーセント未満ではほとんど無症状であり、血中濃度0.05パーセント以上0.15パーセント未満(酪酊度第一度、微酔)では、抑制がとれ、陽気多弁となり、顔面は紅潮し運動過多で落着きがなくなり、厳密なテストをすれば運動失調がみられ、作業能力も減退しており、自動車運転者としては危険な状態であり、血中濃度0.15パーセント以上0.25パーセント未満(酩酊度第二度、軽酔)では、自己も酩酊を認識でき、容易に周囲に気づかれる程度の運動失調が表われ、注意散漫となり判断力が鈍り、自動車運転事故発生の可能性が極めて高い。

以上の事実が認められる。証人近藤日出男の証言中には、憲司の呼気採取は採取用の袋を憲司の口から一〇センチメートル上方に持つて行つた旨の供述部分があるけれども、近藤は本件事故につき捜査を担当した警察官であつて格別の利害関係はない上、自己の経験した事実を述べるものとして不自然なところはないのであるが、一〇センチメートルという具体的な位置関係についてはそれ自体正確性について疑問がないわけではなく、さらに鑑定人溝井泰彦の近藤証人の述べた方法によつてはほとんどの場合呼気一リットルにつき0.1ミリグラム以下のアルコールしか検出されず、高い測定値の時でもせいぜい0.15ミリグラム以下であつたという鑑定結果に照らし採用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

四右認定事実によれば、憲司は、見通しがよく事故発生の蓋然性の高いとはいえない場所で、路面がアイスバーン状態にあつた地点を制限時速五〇キロメートルを超える時速約八〇キロメートルで進行し、センターラインオーバーをした後本来の走行車線に戻ろうと急ブレーキをかけつつハンドルを左にきつたところスリップが始まり本件事故を起こしているものであり、結局、事故原因は憲司が進行速度を含めて路面状況に留意し安全な運転走行方法をとるという自動車運転者としては極めて基本的かつ初歩的な注意事項を遵守しなかつたことにあるものといわなければならない。

また、前掲乙第五号証によれば、スナック「ソロ」の店主岩月は憲司がウイスキーの水割を三、四杯飲んだと述べていたことが認められるけれども、飲酒させた店の店主として飲酒運転中の事故により死亡した客の飲酒量を述べる場合には控え目に述べようとする心理が働くことは経験上屡々みられること、また憲司が事故当日は飲酒するため自己所有の自動車を使用せず弟子屈町に出かけていることを併せ考えると、憲司の飲酒した量は濃度を考慮外におくとしても若月の述べるウイスキーの水割三、四杯よりは多いものと推認でき、また警察官近藤の実施した憲司の呼気アルコール濃度の測定方法は当該状況下では止むを得ない次善の方法であると考えられるし、測定時と憲司の飲酒終了時すなわちスナック「ソロ」を出た時間との時間差が三時間であることを考えると、うがいをさせなかつたことによる口中の残留アルコール分が測定結果に影響を及ぼした度合いは少ないものと考えられ、他に憲司の飲酒量及び酩酊度に関する直接証拠がないからその測定結果は十分参酌されなければならず、時間的間隔を考慮すると事故時には近藤による測定結果である呼気一リットルにつき0.3ミリグラムと少なくとも同程度の測定値が検出できる状態であつたと推測できるのである。さらに、呼気一リットルにつき0.3ミリグラムのアルコール濃度測定値が出た時点において正規の測定方法で呼気アルコール濃度及び血中アルコール濃度を測定したとすれば、少なくとも呼気一リットルにつき0.5ミリグラム以上及び血液一ミリリットルにつき1.6ミリグラム(経験則によると人の全血の比重は1.050ないし1.060であるから、これにより百分率に換算すると血中濃度約0.15パーセント)以上であつた筈であると推測されること(前記鑑定結果)並びに前記事故状況(事故発生場所、態様、原因等)から考えて憲司がアルコールの影響により抑制心、運動能力、判断能力等の減退を招いていたと推測されること、以上を総合すると、憲司の本件事故当時の酩酊度は、少なくとも微酔と軽酔との境界値である血中アルコール濃度0.15パーセント前後であり、判断力が鈍り運動失調も表われる状態にあつたものと推認される。

以上によれば、本件事故は、憲司が酒に酔つて正常な運転ができないおそれのある状態で本件事故車を運転しているときに惹起されたものといわざるをえない。従つて、本件事故は前記免責事由に該当するから、その余の判断をするまでもなく、被告の原告に対する前記保険金の支払義務を認めることはできない。

五よつて、原告の被告に対する本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(吉田秀文 加藤新太郎 五十嵐常之)

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